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ほぼ廃人と化した女が吐く、ネガティブ詩や散文
よく、何かを気にしている相手に
「気のせい気のせい」
と、何でもない という意味で
「気のせい」は使われます。


でも、神経症は
そもそもは 気のせい が高じたから
病気 になった とも言えます。

だから、「気のせい気のせい」と言われたら
「気のせいだったから、病気になったの」
と言うしかありません。


社会不安障害の症状は様々ですが、
共通しているのは、
些末な事柄に激しく囚われ、こだわり過ぎる余り
それが「症状」として固定する、
そして苦しむという特徴です。

ちっと神経症のメカニズムについては
過去記事参照してください。

神経症と私

極論すれば、神経症のメカニズムとは
「気のせい」から始まっているとも言えます。

だから「気のせい」は、神経症者にとって
何の慰めにもなりません。

だって神経症は、体の病気や怪我と違って、
元々は皆「気のせい」だったのですから。

気のせいだったはずの事柄を、「気に病む」余り、
本物の「病気」になってしまったのですから。


大昔過ぎてよく覚えてないけど、文献に
「神経症者とは、気で病む 人」とか書かれていた気が。


しかしねえ・・・ある日ふと気になった些末なことが

30年以上・・・!も、私を苦しめることになるとは
ちょっと思っていなかったですけどね。

私の人生は、病気によって
若かりし頃、思い描いたものとは、
まるで違うものになってしまいました。


死にませんよ、はいはい。
死ななきゃいいんでしょ?もっとっずっと苦しめばいいんでしょ?
んで、助けてはくれないんですよねー誰も。








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【2018/09/16 00:03】 | 社会不安障害ってどんな病気?
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人の無意識の中には、
実に沢山の事柄がつまっているけれど、

普段、私たちは、そのことをわからないまま
生きています。

無意識 ですから。

無意識の中には、
その人が、出来れば見たくないもの、
受け容れ難いもの、
意識に昇って来たら、
心が壊れてしまうほどのものが沢山あります。


深い心的外傷(つまりトラウマ)を負えば
余計に意識できなくなります。

自分にとって、受け容れ難い事柄を
心が壊れてしまわぬように

無意識に封じ込めたり
認めないようにしたり
自分の問題を、他者のせいにして怒ったり

様々な防衛手段で、私たちは
何とか現状の自分をキープしています。

でもこれは、健康な人も持ち合わせている
極めて自然な心の働きです。
不安を感じるのも、健康なことです。

私たちはそうやって、
自分の心が壊れないように、壊れないように、
健気にも、自分を守っているんです。


でも、その不安を不安のままにしておけなくなり
「症状」によってしか自分を守り切れなくなるとき、
それは 神経症 という「病気」として発症します。

それが、わたし です。


目には見えない病気なので
なかなか理解はされませんが、
症状の苦しみは、激烈なものです。

しかし、神経症だけであれば、治療によって完治は可能です。
(薬物だけでは治りません)
ただ私は、社会不安障害という神経症ですが、
その背後には、もっと根深い病理が隠されています。

なので、私のケースでは「完治」はありません。

今から36年前、神経症を発症したときから
それをわかってしまいました。
ああ・・・これはもう、完治はしないなあ・・・と。

それでも、楽になることは出来ます。
文字通り私は自分の足で、
こんな自分を引き受けてくれる治療機関を探しました。
その甲斐あって、良いセラピストと出会い
長年精神療法をつづけています。


治療を始めた当初は、
もっと早く、楽になれると思っていましたが、
苦しんだまま、
実に36年もの月日が経ってしまいました。


全てあきらめることが出来たら、
楽になれるとわかっているのに
私は相当、あきらめが悪いようです。


夏の終わりを知らせるように
秋の気配と一緒の風が、カーテンを揺らします。

この風に、流されるままの私になりたいのです。


いつの日か、きっと。


カウンセリングルーム・カウチ拡大

ここが、カウンセリングルームです。
毎回私は、このカウチに寝て、
言いたいことを何でもかんでも言っています。
セラピスト・ハッチが、パソコンを打つ音を
心地良く聞きながら。







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【2018/09/04 00:03】 | 社会不安障害ってどんな病気?
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神経症
なごやん
こういった心の病気に対して、私は語るだけの理解が少ない。
周りにもいるかもしれないし自分自身も家族が亡くなったり、
何かに対する喪失感を感じても、軽く鬱状態だな、で
やり過ごして来たから。

明らかな病気であっても、ひと目で分からないのは、
しんどいだろうね。

でも、やっぱり心の病気は自分自身で
治して行くしかないように思う。

まぁ今はとにかく睡眠とって、少しでも
楽に過ごしてもらいたいけどね。

Re: 神経症
ナレイ
なごやんさん

コメントおおきに。
良かった、無事で。

しんどいねえ・・・・
体の病気もそりゃあしんどいんだろうけども
理解されるだけでもついつい、いいなあと思ってしまう。

>でも、やっぱり心の病気は自分自身で
>治して行くしかないように思う。

こういう認識が、やっぱり心の「病」
と言いながら、皆、「病」という認識じゃないんだなあ・・・
と思うわ。

骨折したら、「自分自身で治す」とは言わないでしょう?
ま、中には自分自身で治す人もいるかも知れんけど。

「病気」って、自分ではどうにもならないでしょう?
確かに「精神」の病だから、自分自身で治す面もあるよ、そりゃね。
だけど、自分一人で治すのは無理なんよ。

主治医なり、セラピストなり、専門家の助けを借りないとね。
治す「努力」なんかしたら、症状はどんどん悪化する。

ありがとう。
今の私は、もうとにかく毎日ふつーに眠りたい
それだけよ。


確かにそうだね
なごやん
言われてみれば、確かにそうだ。

心の病=病気、と、捉えれば
骨折したら医者に掛かるし、歯医者にも行く。

ただ、この人が病気だと言うのは
心的な物は外部からは見えにくい。

それでけに、ついつい精神論に傾いてしまう。

Re: 確かにそうだね
ナレイ
そうなんよー

精神論では治らないのは
内科や外科の病気と同じ。

そこが未だに?!精神疾患持つ本人も
「闘病」とか「克服」とか言っちゃうからねえ・・
神経症は「闘病」してじゃダメ。
克服する「努力」なんかしちゃダメなの。

上手くつきあっていくこと。

神経症に限って言えば、「克服努力」なんかしたら、
それは症状の思うまま、どんどん悪化するんです。


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私は、すぐに不安になる。

他人にとってはどんな些末なことでも
すぐに不安になるのが私。

昨日ふと、絹の後ろ姿を見たら
「痩せた?」と思った。
それだけで、「何かの病気・・・?」と
まるでジェットコースターが急降下するような
不安に襲われる。


こないだのあの人は
何だかいつもと様子が違ってた。
私、何か悪いことしたかなあ・・・

と、他人の態度がちょっといつもと違うだけで
ゆらゆら揺れていた風船が一気にしぼむような
不安に襲われる。


不安と緊張は、常にセット。

緊張ー心悸亢進ー血圧上昇ー体温上昇ー不眠
その図式が、もう目に見えるように
同じことを繰り返してる。

「絹が病気って、べつに滅茶苦茶元気じゃん。
気にし過ぎだよ、まったく」
と、冷静に考えた、すぐそのあとに
「いやあ・・・でももっと太ってたのになんで?
絹は体が弱いから、何かの病気かも・・・」
と、不安になって

冷静の積み木と、不安の積み木を
幾つも幾つも積み重ねて、
崩れるとまた、冷静・不安・冷静・不安
と、際限もなく積み重ねている。

それが私。
自分でも呆れるくらい
私は、そんな積み木遊びばかりしている。

今日も私は、病んでいる。


フリー画像・積み木









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【2018/07/30 02:02】 | 社会不安障害ってどんな病気?
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一般的に
「努力」とか「克服」とか「あきらめない」とか

そういうことは「美徳」とされます。

だから余計に厄介なんだけど

不安障害全般に言えることは
一般的に「美徳」とされるこれらのことは

「害毒」にしかなりません。

症状を治そうと「努力」すればするほど
その症状に集中するから、却って悪化します。

「克服」しようとすればするほど
症状の 思うツボ にハマります。

「あきらめない」?
いいえ、もうあきらめましょう。

要するに、無駄な努力はやめて、全てあきらめて
症状を持つ自分を、受け容れることこそが
病気の軽減、若しくは症状消失に繋がるんです。


「克服」なんかする必要はありません。
今の自分のままでいい と心底思えたとき


症状は、居心地が悪くなって逃げて行ってくれます。


まあ病気は苦しいからね、
そこから何とか抜け出したい!と思う気持ちはわかります。
私もさんざん「努力」しました。

でもそれこそが、益々の症状悪化に繋がるんです。

まあ私なんかは、一般的にも
努力とか克服とか、そんなんいらないと思うけどね。

努力なんか、苦しいだけで
しなくて良いなら、そのほうが良い決まってます。



そして、周囲の人は「怖い怖い敵」なんかではありません。
むしろ、こんなもんです、すいませんと
症状を持ったままの自分を晒せば
ひとって驚くほど優しいと感じられます。

私はそのことを、居酒屋バイトで実感しました。

私には振戦恐怖がありますが、震えながら
緊張したまま、酒やらつまみやらをお運びしてました。

ひとってそんなにバカじゃないんです。
誠実にお客さんと向き合う私を、
ちゃんと感じてくれたのだと思います。

お客さんは皆、本当に優しかったです。

「楽しかった!また来るわね!」と
握手を求めて手を差し出してくれたお客さん、

大生ジョッキをこぼしそうになった私に
「おーおー大変だね。おいお前!代わりにやってやれよ!」
と、ジョークを交えながら、言ってくれたお客さん

ひとはバカじゃないんです。
ひとは優しいものです。

努力や克服はやめたほうが
そういう大事なことを感じることができるんです。


フリー画像・グラスの雫







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【2018/03/01 00:03】 | 社会不安障害ってどんな病気?
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「理性」や「知」という内なる自己は、
本来の自己を抑え、常に「かくあるべき」自分を演じ続ける。
「かくあるべき自分」とは、私の場合、母親から刷り込まれた、
およそ現実離れした自己である。

そういった無意識の作用は、
おそらく健康な人の中にもある作用なのだろう。

しかし、神経症者の「かくあるべき」は余りにも理想が高い。
それを、「幻想」と言い換えても良い。

その「理想的な」かくあるべき自己と
現実の自己とのギャップも大きい。

神経症の症状は、現実の自分と幻想の自分との
妥協の産物と言われる。

なぜこんな激烈に苦しい症状が常に襲って来るのか、と思う。
症状など早く治したいと意識的には思っている。

しかし、幻想の自分を無理矢理、現実のものにしようと
症状を誘発させることで、何とか心の安定を試みるのである。

理性とは、人間だけが持つ大事な心の働きであるが、
神経症の症状に関して言えば、理性は邪魔なだけである。

悲しみ、怒り、憎しみなどの負の感情を
人はできれば見たくないと思う。
しかし、それら負の感情を自分のものとして
しっかりと受け容れ、「感じる」ことは、非常に大切なことである。


「かくあるべき」の幻想を捨てれば、
必然的に症状は軽減若しくは消失する。
正も負もある 現実の自分を受け容れて初めて、
神経症者は、本来の自分を生きられるのである。





昨日ツイッターに書いた文章を推敲して引用してみた。
たまには堅いことも書いてみる。
まあ、活字はどうしても「知性化」という防衛に
繋がってしまうんだけどね。

だし、こんなことはもう30年前から言われてることだけど~






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【2018/01/09 00:03】 | 社会不安障害ってどんな病気?
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