ほぼ廃人と化した女が吐く、ネガティブ詩や散文
一体 この世に
正しいこと、間違っていることの
基準 なんてあるのだろうか。


勿論、違法行為は罰せられるし
社会的規範の中で、生きなければ、
社会や国の秩序は保たれない。

だけど、それがそんなに大事なことだろうか。


私の知人に、とても正義漢な人がいた。
仮に、ヨシ子さんと呼ぼう。

ヨシ子さんは非常に頭が良く、
彼女の言うことは、常に正論で、
私にも、常に納得が出来た。

更に、ヨシ子さんに私はいつも、助けられていて、
私は、感謝してもしきれない大恩を感じていた。


ところが、3年前くらいだったろうか。
私の留守中、私の知人の、ヨシ子さんに対する、
ちょっと常識を欠いた言動
(いや、常識なんてどーでもいいと思ってる私だから、
人としての品性を欠いた言動 と言ったら良いだろうか)
に、ヨシ子さんは怒り、私は謝罪をしたが、

「もうナレイさんとおつき合いはしない」
という意味合いのことを言われ
余りにもあっけなく、関係を断たれた。

私は物凄く傷ついて、今に至る。

そんなことがあって、最近よく思うのは、
「正義はときに人を傷つける」ということ。

おそらくヨシ子さんは、
「自分の行いは正しい」と思っていて、
彼女が「正しい」と思っている価値観に反することは、
相手が「間違っている」と判断するのだろう。


ただ、自分の正義を貫き通すために、
ひとを傷つけて良いことにはならない。
勿論、ヨシ子さん自身も傷ついたからこそ、
怒ったのだろうけど。

しかし、頑ななまでの、このヨシ子さんの態度に、
私は疑問を禁じえない。

そもそも「正義」なんてものが、
私にはわからないのだ。
そんなものは、どうでも良いとさえ思える。

これだけ多様な価値観の中では、
私にとって「正しいこと」が、
他の人にとっては「間違ったこと」
になることもあり得ると思うのは、極論だろうか。

まあ私は自分の言動を「正しい・間違ってる」で
判断したことがないけれど。
ただ、自分の信ずるところを信じているだけであって、
それが正しいとは限らないと、いつも思う。

私の知人の、ちょっと品性を欠いた行為は
確かに私も、「しょうがないなあ・・・」とは思ったけれど、
それでも、まあやっちゃったもんはしゃあないやん、
と、受け容れられるだけの、
寛大さ、キャパの大きさのほうが、
私には、大切に思えてならない。


ただ、自分が傷ついたというだけでなく、
私の言動もまた、
いつも、どこかで誰かを傷つけているという、
その自覚だけは、忘れたくないと思う。








ぽちで救われる私がいます


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【2016/01/31 08:17】 | 「軽い変態」から見る社会
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