ほぼ廃人と化した女が吐く、ネガティブ詩や散文
若い頃付き合っていた彼が、動物好きな私に
牛の目は、聖者の目って言われてるんだよ
と言っていたことがあった。

彼のアパートは都心にあったのに、
何故か近所に小さな牧場があって、確か、僅か30坪くらいの草っ原に
2~3頭の牛が放牧されていて
私は、彼のアパートに行く度、その牛たちを見に行った。

大きな顔を私になすり付け、大きな目は真っ黒で
牛たちは何故か、私たちに懐いてた。

その当時に彼が「牛の目は聖者の目だ」と言っていた。

最近、その言葉が思い出されてならなくて調べてみたら
高村光太郎の詩だったのね。

牛の眼は聖者の眼だ

牛は自然をその通りにぢっと見る
見つめる
きょろきょろときょろつかない
眼に角もたてない
牛が自然を見る事は 牛が自分を見る事だ
外を見ると一緒に内が見え
内を見ると一緒に外が見える
これは牛にとっての努力ぢゃない
牛にとっての必然だ

そしてやっぱり 牛はのろのろと歩く


高村光太郎 牛 より一部抜粋

雨露の凌げる家があって電気水道ガスがあって
食べられるものがある

それ以上の贅沢があるかしら・・?

牛肉も魚も野菜も水も何もかも
放射能に汚染されて安心して食べられない飲めないと言う。

よく火を通して とか何とか言いながら
その一方では
血の滴るようなミディアムレアが好きだと言う。

この間まで見向きもしなかった扇風機に群がって売り切れていると言う。

そんな強欲な人間たちを見ることに、私はもう疲れた。

あの震災で ガリガリに痩せた牛を見れば
畜産農家の人は、牛が可哀相で
矢も盾もたまらず、そこらにあった牧草を食べさせるのも当然でしょう。
(もっとも、その牛たちは既に殺処分になったのよね・・・)

震災のときも、きっと牛は
のろのろと歩いていた だけ。

雲にも乗らず
水をも泳がず
ただ大地を踏みしめて
自然をその通りに見つめて

聖者の眼をして。

そしてこの詩は、改めて読んでみると
牛を通して 人間を語っているものであることが解る。

私たち人間は、何をやっているの?

牛は一体何のために生れて来たの?

人間に食われるため じゃないことだけは確かね。


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【2011/07/13 05:40】 | 「軽い変態」から見る社会
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カプチ
そう、そう、そう、そう、そう、そーーーーう。
ですね。

Re: かプチさん
ナレイ
コメント、ありがとう。

そう、そうそうそうそうそうそう!

ですよね。

痛いです、胸が。

あの、私たちの倍くらい大きな顔と真っ黒な瞳が

忘れられません。

彼らは、ただ我々に懐くだけで

「お前たち人間のせいでオレたちがどんな目に遭って来たかわかるか?!」
なんて、ひと言も発しません。


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コメント
この記事へのコメント
そう、そう、そう、そう、そう、そーーーーう。
ですね。
2013/04/10(Wed) 07:27 | URL  | カプチ #-[ 編集]
Re: かプチさん
コメント、ありがとう。

そう、そうそうそうそうそうそう!

ですよね。

痛いです、胸が。

あの、私たちの倍くらい大きな顔と真っ黒な瞳が

忘れられません。

彼らは、ただ我々に懐くだけで

「お前たち人間のせいでオレたちがどんな目に遭って来たかわかるか?!」
なんて、ひと言も発しません。
2013/04/10(Wed) 08:26 | URL  | ナレイ #-[ 編集]
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