ほぼ廃人と化した女が吐く、ネガティブ詩や散文
毎年、夏になると、
戦争モノのドラマやドキュメントが番組として組まれる。
若い人にとってはもう民話か童話のようにしか
聞こえないのかも知れないけれど
幼い頃からひとの死 が常に身近であった私には、
何か・・・胸が痛い夏。

私と同世代でも、親がもっと若いとか、都心部や地方都市出身でないと
あまりピンと来ないようだけど、

私の母は昭和7年生まれ。墨田区出身。
終戦のときは12才かそこらだったと言っていた。

東京大空襲のことはどれだけ聞かされたかわからないので
もう見える。
自分が体験したことのように。
隅田川を埋め尽くす黒焦げの死体も。
空から降って来る焼夷弾も。
家族みんなで逃げた、小さな神社の佇まいまで。

おそらくそれは、母に聞いた話と
テレビで観た映像とが無意識のうちにインプットされているのだろうけど。

かぐや姫の「あの人の手紙」を初めて聞いたのは中学のときだったけれど、
何か、いつものこうせつの詞と違う、(正やんの作詞だったのね)
戦争で引き裂かれた二人を歌詞にしている
と思ったけれど、
あれは「知覧からの手紙」と言う実話だったのね・・・・。

昨日は、特攻隊の人たちの遺書を見て、むせび泣いた。
出撃することを、異口同音に
至上の幸福とか、
見事に散るとか、そんなふうに綴っている・・。

大日本帝国憲法下では、「死にたくない」と言うことさえ許されず
「戦争はイヤだ」と言っただけで警察に捕まり。
「神風が吹いて、必ずや日本が勝つ」と思い込まされ。

今の時代もいろんな操作がされているけれど、
呑まれないで欲しいと思う。

震災後、初めての夏
大切な誰かを失った人に「一人じゃないよ」だの「頑張って」だの
そんな言葉は却って刺さるだろう。
今でもきっと「一人だ・・・」と思いながらその後遺症を引きずっているはず。
そんなときうわべだけの言葉は意味を持たない。

あの時代にも、僅か20才や21才、22才と言う若さで、ささやかな夢さえ絶たれ
ああ言う言葉を綴りながら
どんな思いでいたのかと思うと・・・・・。

胸が痛くて・・・・・・。

「この方々の犠牲の上に今の平和がある」とか
そんな感想があったけれど
犠牲?なんて言葉は、無神経に使わないで欲しい。
彼らはただ、あのとき、死ぬしかなかったのよ。

精霊の御霊とか、右とか左とか、
私にはそんなこと関係ない。
何故そんな議論をするの?

彼らは、私たちと何も変わらない人間だったのよ。
それぞれの人生があって、
それぞれに

お母さんに会いたい、お父さんに会いたい
兄妹に、恋人に会いたい

そう思いながら、そう叫ぶことさえ許されず
死んで行ったのよ。

神も仏も信じていない私だけど
いつも患者を見送って来た私。

何か、いろんな人が私の所へ来ているのかな・・・
なんて思っていた昨日。↓
死神か、見送りか
あれから66年経ったなんて思えないほど、空は、抜けるように青い。


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【2011/08/07 06:33】 | いのちの桜
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