ほぼ廃人と化した女が吐く、ネガティブ詩や散文
【昭和20年、3月10日 また空襲に襲われました。
私は13歳です。
本所区(現・墨田区)に住んでいた私の家は、
直撃されて、父と母と弟二人、家族で逃げました。

空を見ると、真っ黒い焼夷弾が、
幾つも幾つも雨みたいに降って来るんです。
火の海の中、家族で必死に逃げました。

黒焦げになった死体が、
道いっぱいに転がっていて歩けないくらいでした。
母は
「なむみょうほうれんげきょう、
なむみょうほうれんげきょう」と
言ひながら、
その死体を足でどかしながら歩いていました。

隅田川は、もう川ではなくて、
死体の山になっていました。

「おキヨ、オレたちはもうダメだ~~」
と怯える気の弱い父に
「あんた!しっかりしとくれ!」
と母は気丈に振る舞っていました。

被服廠(ひふくしょう)に逃げれば大丈夫だ、
と近所の人たちが言っていましたが、
関東大震災を経験していた母には
カンが働いたのでせう。
「被服廠は危ないよ!」と言ひ、
私たち家族は、みんなが避難した被服廠ではなく、
小さな神社に逃げ、家族5人で隠れていました。

そのとき思わず私は
「金紗(きんしゃ)の着物が焼けちゃう!」
と、大事にしていた着物のことを思ひ出して
叫んでしまひました。
すると母は、それを取りに家へ戻って行ったんです。
火の海になっているはずの家へ。

・・・・私は、なんてことを言ってしまったんだらふ、と、
とても後悔しました。
着物なんかで、
母がもし戻って来なかったらどうしよう、と。

10分経ち、15分経っても母は戻って来ません。
とてつもなく長い時間に感じられました。
私は不安で不安でたまりませんでした。
幼い弟は
「おかあちゃん、帰ってこねえや!トミエねえちゃんのせいだ!」
と、泣きながら私を責めました。

私は、そのとき覚悟を決めていました。
「私が親代わりになって、弟たちを育てて行くんだ」と。

20分くらい経ったときだったでせうか。
母が、全身ススだらけになって、金紗の着物を抱えて、
帰って来たんです。
弟は「おかあちゃん帰って来た!」
と大喜びで叫びましたが、
私は、言葉が出ませんでした。

ただ、「帰って来てくれた・・・お母さんって強い人だ。
私も、お母さんのやうな人になりたい・・・!」
そう、心の中で強く思っていました。

金紗の着物を抱えて立っている母は、
本当に頼もしく見えました。】

これは、母から何十回となく聞かされた話なので

もう見える。

小さな神社の佇まいから、
経験したこともないはずの焼夷弾の雨、黒焦げの死体、
それらの光景が、あたかも自分で経験したことのように、
くっきりと、鮮明に見えるんだよ。

だから私は、戦争体験者の気分 にときどき陥るんだよね。


関東大震災、東京大空襲を経験したおばあちゃん、
明治・大正・そして激動の昭和を生き抜き
幼い頃から、苦労の連続だったおばあちゃん。

私は東日本大震災で、都心でも電車が激しく揺れたとき
真っ先におばあちゃんを思い出したよ。

今もこうして、目を閉じれば
3月10日の、あの日の光景が見える。

おばあちゃん、安心して。
私の記憶の糸は、亡きおばあちゃんから、
亡きお母さん、そして私へと
しっかり紡がれているよ。

会いたい。
優しいけどすぐ怒る
人間臭い、何とも人間臭い おばあちゃんに。


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【2018/04/16 00:03】 | 震災に思う
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