追体験日記(再編集)
【昭和20年、3月10日 また空襲に襲われました。
私は13歳です。
本所区(現・墨田区)に住んでいた私の家は、
直撃されて、父と母と弟二人、家族で逃げました。
空を見ると、真っ黒い焼夷弾が、
幾つも幾つも雨みたいに降って来るんです。
火の海の中、家族で必死に逃げました。
黒焦げになった死体が、
道いっぱいに転がっていて歩けないくらいでした。
母は
「なむみょうほうれんげきょう、
なむみょうほうれんげきょう」と
言ひながら、
その死体を足でどかしながら歩いていました。
隅田川は、もう川ではなくて、
死体の山になっていました】
これは、母から何十回となく聞かされた話なので
もう見える。
小さな神社の佇まいから、
経験したこともないはずの焼夷弾の雨、黒焦げの死体、
それらの光景が、あたかも自分で経験したことのように、
くっきりと、鮮明に見えるんだよ。
だから私は、戦争体験者の気分 にときどき陥るんだよね。
そんな私は思う。
もうこれ以上、誰にもこんな思いはして欲しくない、と
ぽちで救われる私がいます
↓
にほんブログ村
にほんブログ村
にほんブログ村
私は13歳です。
本所区(現・墨田区)に住んでいた私の家は、
直撃されて、父と母と弟二人、家族で逃げました。
空を見ると、真っ黒い焼夷弾が、
幾つも幾つも雨みたいに降って来るんです。
火の海の中、家族で必死に逃げました。
黒焦げになった死体が、
道いっぱいに転がっていて歩けないくらいでした。
母は
「なむみょうほうれんげきょう、
なむみょうほうれんげきょう」と
言ひながら、
その死体を足でどかしながら歩いていました。
隅田川は、もう川ではなくて、
死体の山になっていました】
これは、母から何十回となく聞かされた話なので
もう見える。
小さな神社の佇まいから、
経験したこともないはずの焼夷弾の雨、黒焦げの死体、
それらの光景が、あたかも自分で経験したことのように、
くっきりと、鮮明に見えるんだよ。
だから私は、戦争体験者の気分 にときどき陥るんだよね。
そんな私は思う。
もうこれ以上、誰にもこんな思いはして欲しくない、と
ぽちで救われる私がいます
↓
にほんブログ村
にほんブログ村
にほんブログ村