ほぼ廃人と化した女が吐く、ネガティブ詩や散文
以下、主治医みのるの文章です。
昨日許可を得るべく電話したら、
特に問題ないでしょとのこと。
なんだー案外融通利くんじゃーん、みのる~
それは困る!とか言われるかと思ったー
一般向けとは言え、ボリュームのある文章だから。

「フロイト以来、精神分析は 『 科学的手法 』として
発展してきた歴史を持っています。
そのため、精神分析という言葉からは、
解剖を連想される方も多いのではないかと思います。
しかし、生きた自分の心を分析(解剖)することには
おのずと限界がありますし、苦痛も伴います。

また、分析(解剖)して取り出した心理的要素(標本)を
陳列することが治療の目的ではありません。
たとえ自己を作り上げている心理的要素を
全て取り出すことが出来たとしても、
それをもう一度組み上げたところに、
その人そのものや生命はありません。
生きた心は常に変化して
一時も同じ形でいることがないからです。


自己を説明する様々な要素を切り出していく過程で
そこに立ち現れる本来の自己を見ることが
治療の目的になると私は考えます。


本来の自己とは何者でしょうか。…
自分を説明するために言葉を一度用いたら、
そのまま忘れてしまっても良い、
と私は極言することがあります。
一度自己を形容するために言葉を用いると、
その瞬間から概念と化してしまいます。
百万もの言葉を費やして自分を説明しても、
説明している間に生きたその人そのものは
どこかに歩み去ってしまいます。

それはまるで彫像を掘り出す過程で出来た
木屑に喩えることも出来るでしょう。
木屑は余分なものですから顧みる必要はありません。
自己という大きな木の塊を掘り進む中で、
何が目の前に現れてくるでしょうか。


いつも私はそれを楽しみにしています。」

みのるの許可を得てクリニック公式HPより転載
「私の考えるカウンセリングについて」より一部抜粋

さんきゅ・みのる♪
この部分、とーっても共感しちゃったの。

だからいつもセラピスト・ハッチは、
分析はしない・共感する。
分析しても、誰も元気にならないから。
と言うのねー

クライアントである私は
ハッチの前でさんざん木屑を撒き散らしながら、
「ナレイ像」を掘り続けてるのだろうね。
ハッチの手を借りながら。
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【2012/05/22 05:14】 | 神経症
|

掘り続ける作業
勝利園
こんにちは。勝利園です。
ナレイさん、いつも、ほんとうにありがとうございます。

>百万もの言葉を費やして自分を説明しても、
説明している間に生きたその人そのものは
どこかに歩み去ってしまいます。

ウロコが落ちるってこういうことなのかな...。なんか、自分の盲点に気が付かされたような感じです。

その人のことを、わかりたい。その人の心が知りたい。と思って、
一生懸命、言葉を聞いたり、言葉で考えたり、説明ばかりを求めていました。
でも、そんなの説明できないんですね。そもそも説明なんて、意味ないんですよね。
言葉にした瞬間、言語で成されるのは「説明」であり、単なる「情報」。その人自身じゃない。

>分析はしない・共感する。

嗚呼、そういうことか!思わず膝を打ちました。
ホントだ、共感することはできる!
理解できなくても、感じることはできる。
その人の話を、聞く(聴く)。
聞いて、感じる。
一緒に苦しんだり、一緒に泣いたり、一緒に笑ったり、一緒に怒ったり。

私は、ナレイさんのブログに出逢って、「沿う」ということに、とても大切なものがあるように感じるようになりました。
相手を思うあまり、「何か、力になってあげよう」とか、「何かを、与えてあげよう」とか、そういうのではなく。
(もちろん上から目線とか・同情とかのつもりはなのですが...。)

「沿う」、共に。

もっともっと、感じれるように...。


Re: 掘り続ける作業
ナレイ
勝利園さん、こんにちは。
コメント、ありがとうございます。

この文章は、私の主治医が自身のクリニックのHPに掲載したものですから
おそらく治療を受けたいけど、「なんか不安だな・・・」
「精神分析・・なんて却って昔を思い出させるだけで
イヤな思いさせられるんじゃ・・」
と思う人を考慮に入れて書いたものだと想像しますが、

一般的にも十分共感出来る文章だったため、転載の許可をお願いしました。

人間は言語の動物なので、日頃から言語に頼り切っています。
無論、言語がなければコミュニケーションは取れません。
が、果たしてそれが全てなのか・・・?
と言う、実に根源的なことをみのるは言いたかったんじゃないかな、と
私は想像しています。

> 相手を思うあまり、「何か、力になってあげよう」とか、「何かを、与えてあげよう」とか
このお気持ちはとてもよくわかります。

でもどんなに言葉を尽くして語っても、
それが本当に相手の力になるとは限らないのだと私には思えます。
むしろ「説明」や「励まし」や「激励」や「慰め」
そう言った言葉を尽くせば尽くすほど、
相手がどんどん傷ついていく、なんてこともままあります。

勿論、治療の上で言葉は必須ですが
みのるも書いているように一度「説明」したらもうその言葉は忘れて良いんです。
でも「説明」の言葉は所詮は木屑。

私のセラピストはよく、「考えるより感じること」
が大事だと言います。
木屑は余分なものだけど、感じるようになるために
必要だったりもします。

話を聴く側は、相手の木屑まみれになりながら、
浮き彫りになって来る「その人そのもの」を
その人自身が、「感じられる」ような素朴な言葉をかけたり、
沈黙していても、言葉に寄らない空気を作ってくれます。

その「空気」こそ
私の言葉で言う「その人の気持ちに沿う」ものであり、
「受け入れられる空気」として
どれだけ沢山の、一見耳に優しい綺麗な言葉より
私には温かいものとして感じられます。

私は、セラピスト・ハッチや主治医みのるの足元にも及びませんが
そんな空気を作れる人間に、
いつかなりたいと思っています。

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コメント
この記事へのコメント
掘り続ける作業
こんにちは。勝利園です。
ナレイさん、いつも、ほんとうにありがとうございます。

>百万もの言葉を費やして自分を説明しても、
説明している間に生きたその人そのものは
どこかに歩み去ってしまいます。

ウロコが落ちるってこういうことなのかな...。なんか、自分の盲点に気が付かされたような感じです。

その人のことを、わかりたい。その人の心が知りたい。と思って、
一生懸命、言葉を聞いたり、言葉で考えたり、説明ばかりを求めていました。
でも、そんなの説明できないんですね。そもそも説明なんて、意味ないんですよね。
言葉にした瞬間、言語で成されるのは「説明」であり、単なる「情報」。その人自身じゃない。

>分析はしない・共感する。

嗚呼、そういうことか!思わず膝を打ちました。
ホントだ、共感することはできる!
理解できなくても、感じることはできる。
その人の話を、聞く(聴く)。
聞いて、感じる。
一緒に苦しんだり、一緒に泣いたり、一緒に笑ったり、一緒に怒ったり。

私は、ナレイさんのブログに出逢って、「沿う」ということに、とても大切なものがあるように感じるようになりました。
相手を思うあまり、「何か、力になってあげよう」とか、「何かを、与えてあげよう」とか、そういうのではなく。
(もちろん上から目線とか・同情とかのつもりはなのですが...。)

「沿う」、共に。

もっともっと、感じれるように...。
2012/05/22(Tue) 14:17 | URL  | 勝利園 #-[ 編集]
Re: 掘り続ける作業
勝利園さん、こんにちは。
コメント、ありがとうございます。

この文章は、私の主治医が自身のクリニックのHPに掲載したものですから
おそらく治療を受けたいけど、「なんか不安だな・・・」
「精神分析・・なんて却って昔を思い出させるだけで
イヤな思いさせられるんじゃ・・」
と思う人を考慮に入れて書いたものだと想像しますが、

一般的にも十分共感出来る文章だったため、転載の許可をお願いしました。

人間は言語の動物なので、日頃から言語に頼り切っています。
無論、言語がなければコミュニケーションは取れません。
が、果たしてそれが全てなのか・・・?
と言う、実に根源的なことをみのるは言いたかったんじゃないかな、と
私は想像しています。

> 相手を思うあまり、「何か、力になってあげよう」とか、「何かを、与えてあげよう」とか
このお気持ちはとてもよくわかります。

でもどんなに言葉を尽くして語っても、
それが本当に相手の力になるとは限らないのだと私には思えます。
むしろ「説明」や「励まし」や「激励」や「慰め」
そう言った言葉を尽くせば尽くすほど、
相手がどんどん傷ついていく、なんてこともままあります。

勿論、治療の上で言葉は必須ですが
みのるも書いているように一度「説明」したらもうその言葉は忘れて良いんです。
でも「説明」の言葉は所詮は木屑。

私のセラピストはよく、「考えるより感じること」
が大事だと言います。
木屑は余分なものだけど、感じるようになるために
必要だったりもします。

話を聴く側は、相手の木屑まみれになりながら、
浮き彫りになって来る「その人そのもの」を
その人自身が、「感じられる」ような素朴な言葉をかけたり、
沈黙していても、言葉に寄らない空気を作ってくれます。

その「空気」こそ
私の言葉で言う「その人の気持ちに沿う」ものであり、
「受け入れられる空気」として
どれだけ沢山の、一見耳に優しい綺麗な言葉より
私には温かいものとして感じられます。

私は、セラピスト・ハッチや主治医みのるの足元にも及びませんが
そんな空気を作れる人間に、
いつかなりたいと思っています。
2012/05/22(Tue) 15:21 | URL  | ナレイ #-[ 編集]
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